当時中1だった長女の不登校に始まり、病気、姑との確執など、人生のどん底でマヤ暦に出会いました。
マヤ暦に出会った事で、自分自身や子供たちの特性を客観的に見ることが出来るようになったと思います。
また、マヤ暦のセッションを通して多くの方に関わらせて頂いた事で、出会いや価値観も大きく変化していきました。
私の人生を大きく変えてくれたのはマヤ暦です。
私にとってマヤ暦とは…その人、その年、その日のエネルギーをどのように捉え、活用したら、それぞれがより良い方向へ歩んでいけるのかを導いてくれる宇宙の愛と叡智が詰まった学びです。
1回目の転機は「子供が産めないと言われたとき」
7歳の時に母をガンで亡くし、居場所が無かった私は
常に「生き辛さ」を抱えて10代を過ごしました。
22歳で慢性腎炎になり、透析の一歩手前の身体になった時
栄養の事や、考え方を勉強する機会を頂いて…
初めて「あるがままの自分」を受け入れる事が出来るようになったと思います。
自分を受け入れる事が出来るようになった時、治らないと言われた病気が治り、
二人の娘を授かる事が出来ました。
2回目の転機は「長女の不登校」
何度も辛い経験を乗り越え、自分の事は自分で解決出来ると思っていましたが
長女の不登校、登校するようになったと思ったら、てんかん発症。
同じ時期に、義母の末期ガン…
もう、自分だけではどうにもならなと思ったとき
「前世療法」に出会い「前世療法」と「レイキ」を学びました。
「前世療法」→「未来スケジュール」→「マヤ暦」
前世療法を受けてみて
自分の人生が自分の想い通りになっていた事
これまで色んな出来ことを「受け入れる」だけで
「望む」事をして来なかった自分に気づきました。
ならば未来を望んでみようと思った時出会ったのが
「未来スケジュール」と「マヤ暦」でした。
どんどん変化する私の姿をみて、
子供たちも「夢」を持ち始めたようです。
「マヤ暦」に出会ってから
中学時代不登校だった娘が地元での高校進学ではなく、
関西での進学を希望した為に夫を地元に残し、子供たちと
関西で生活し始めました。
マヤ暦がなかったら知り合いもない知らない土地で
あれだけ学校に行けなかった元不登校の娘が
本当に登校できるかも分からない状態で
生活できるのか不安でたまらなかったと思いますが…
「マヤ暦」に出会っていたお陰で、自分で決めたら強い
娘の底力を信じることが出来たので、不安はありませんでした。
また、私自身も「マヤ暦」を通じで多くの方に出会い
マヤ暦を教えて欲しいと言ってもらえたお陰で、マヤ暦の講師となりました。